体力か?慣れか?

きのうの山行が結構キツかったようで、身体がしんどいですね。しかし、結構な高齢な方たちがひょいひょいと登ったり下りたりしていたので、体力というか、慣れやコツみたいなものも結構大事なんだろうなーと感じた次第です。

まだまだ基礎体力が足りないようで、、、。写真はきのうの山の途中。

このように身体の疲れのある時は逆にトランペットは素直に鳴らせます。身体が最小の力で脱力して鳴らそうとするから。無駄に元気な時や、いきがっている時はロクでもなかったですね、経験上。

車のワイパーの部品を壊して、ディーラーに発注してから結構経ちますが、あんな物くらいも在庫していないか、期間のかかるものなのか?

都会住みじゃなくて、改めて良かったと思う。

田舎住まい、都会住まい、郊外住まい色々経験して思うのは、創造系の人にはやっぱりある程度都会とは距離を置かないと崩れるという事。

偏見です。が、台風で電車が動かず混乱する様を見ていて「うーん、こんなゴミゴミした中から、イマジネーションって生まれないよな、、、」と単純に思う。生み出せている人は耐性があるか、商業的か。いずれにせよ、良くも悪くも「影響」はされてしまうね。うねりに飲まれているなーって、この人たちって。急がなくてもいいのに電車の列に並んだり。

こういうのをある意味俯瞰的に見られるのは田舎の特権。

写真系SNSでも飲まれてるなーってのは顕著に出ますね。今年はスニーカーは、何故かバンズ。しかも茶系。カーハートのダボTに、パタゴニアのレトロX。この人たちに「主体」はあるのか?個性を出そうとしている(差別化しようと)のに、結果似たようなモノになっている。村上春樹の小説(ずいぶん前の)にも、時計はロレックス、車はBMW、港区に住んで、、、なんちゃら、、、、。差別化したいのに、結果その人たちは全部同じような物を着て、過ごしている。

田舎だと、そもそもハイブランドのショップすら無いので、いかに無い無いずくしの中からおしゃれ感やオリジナリティを出していくかの事になる。

と、なんだかアンチ東京という風ですが、実のところそうなんですね、近年。何か用事が無い限り行きたくはないですね。

便利、楽、近い等面倒臭い事を敢えてして行こうというのが人生の指針となっているので、歩いて数分にコンビニは要らないし、そもそもコンビニ自体要らないし、数分で電車は来なくて良い。

電車が数分間隔で来ると、すぐ乗れる代わりに「イマジネーションを失う」

頭を空っぽにする間もなく、次へと行けてしまうから。エスカレーターより階段、スーパーより八百屋感覚で生きていきたいですわ。

楽譜書き。

台風24号の影響で松本マラソンは中止となったようで。ちょうど今は開催されていればピークタイムでしょうが、時折晴れ間も見えます。が、県外者とか海外からの方は、仮に走れていたとしても、帰れないでしょうね、、、。中止止む無しですかね。

近くの川は昨夜までの雨でかなり増水していて、今夜過ぎる台風でもかなりの水量が予想されるので、この辺りにしてみたら結構な水量になるでしょうか、、、怖いですね。

朝のトランペットトレーニングとランニングを済ませ、楽譜書き。そういえば、昔より音符の書き方が様になっているなーと。読み易く、スピーディーに書けるようになっているみたいです。

結構、移調しないと無い楽譜があって、作業は面倒ですが、手書きする事で何となくいい気分はします。そういえば、この鉛筆削りは浪人の時に使っていたものかも。長いね。

富士フイルム「チェキSQ10」凄い!

カメラ界はいよいよミラーレス一眼全盛へと。メカ好きなのでもちろん最新ハイスペック物にも興味はあります。が、写真の富士フイルムのインスタントカメラ・チェキSQ10が凄くフィットします。従来のチェキは縦長だったり、シャッターを押したら必ずプリントが出てくるようになっていました。スクエアのフィルムはまだ高いんです。一枚100円くらい。なので、無駄撃ちはしたくないので、このモデルは良いんです。撮るだけ撮って、あとで編集も出来てプリントが出来るのです。

シャープなカッチリ写真を求めていないので、解像度やフィルム感がなんとも絶妙に合います、わたしに。

楽器は化身みたいな物なので、ハイスペックは当然なものを持っていますが、カメラにそこまでは求めないというか、現状の最新機種との方向性は違うなーと。

スクエアサイズというのも影響してか、外出時はチェキばかりになっています。

※訂正とお詫び

昨日書いた、美術館で写真撮影の件ですが、きのうの浮世絵の展示に限って写真撮影は可能でした。訂正してお詫び申し上げます。

確かに数人が撮っていて、常識では考えられない光景だったので、あのように書いたのですが。実は気になったので、今日も美術館へ行ったらフラッシュ禁止や音に配慮すれば、写真ならオーケーと書いてありました。

初「浮世絵」が、北斎、歌麿、広重。

夏までの草間彌生展の賑わいを避けていて、ようやく静かな松本市美術館へ。

日本の伝統美術の浮世絵をキチンと観た事がなくて、しかも何の展示をしているかも知らずに平日だからと飛び込んだ。そしたら浮世絵展だった。

さらに以前住んでいた藤沢市の美術館からの展示。

そんなわけで、内容の多くは江の島と富士山と海とすごろくとか。

人生初の浮世絵が、北斎、歌麿、広重などの絵師。ショックです。

200年くらい前に、これが存在していて、わたしの目で観ている。本物。

で、浮世絵に「夜景」が存在するのを初めて知りました。海の上に浮かぶ月。月光が海面を照らし、月光が砂浜を歩く人を照らす。そんな絵があった。これがすごく印象的だった。割と新しい絵。

そして、解説にもあったけど、富士の形や海の波の形、江の島の形。写実的とは言い難い。そう、辻堂に住んでいたけど、あんな荒波ないもんね。「心象風景」と浮かんだ。わたしの写真の撮り方と近いと感じた。なんだか嬉しかった。

思わぬ出会いに感謝。やはり、美術館は静かなところであって欲しい。

そういう時こそ、走るんだ、と。

なんだか、切ないような虚しいような感覚に陥ったので、家に帰りたくなかったが、これまではただ悶々と時間の経つのを待っていたのだけど、そうか!走って走ってクタクタにして、そういう何かを吹っ飛ばすか!ということで、真っ暗な中、ヘッドライトを点け走った。最後はダッシュでしめた。少し気がラクになった。

わたしに邪魔なのはやっぱり「言葉」なんだとも思う。

世間的、学校的には「本を読みましょう、新聞を読みましょう、それこそが人間的活動だ」というような「圧」を感じざるを得ないのだけど。わたしは読書家ではない。好きなのは村上春樹のみで、他には全く興味は無い。春樹なら100冊以上は読んだし、中には1冊を10回以上読み返したものもある。でも、だからってどうか?と言われれば、確かに大切な事は学んだ。ある意味机上で。

でも、わたしの人生で再現や体現や表現をしたいのは、言葉ではなく、空間であり、音であるわけで、そこに言葉が介在するのはまるで邪魔としか言えない。言葉で説明が出来るなら、そもそもトランペットを吹く事もなかろう。

そんな事を感じた秋の1日。

また明日からせっせとトランペットトレーニングをして行こう。

基本。そして自分の音を聴くこと。

この頃、写真無し投稿が続いているのは、単に撮っていないだけなんです。

昔から別のBlog等をやっていた時から、1Blog1写真を続けていたのですが、ネタがなかなか。同じような物を載せるのは(消した過去のBlogに使用したものでも)自分の歴史なので、あまり気が乗らず。

そんな訳で、写真が無いのです。

秋の終わり?冬の始めに自分にはありがたい本番を頂きまして、それの準備も進めているのですが、先日書いたように「大事な曲では、名盤を聞くな!」を当然実行しているのです。もちろん、どの曲も名盤は何度も聞いてしまっているので、本来的には刷り込まれてしまっているのですが、それを振り払うメンタリティを身に付けたい昨今。まず、楽譜を見る。コードを見る。テーマを吹いてみる。アドリブをコードトーンに忠実に吹いてみる(大学生のジャズ研みたいに)そうした単純作業をしていると、やはり何かが見えてきます。

まず、技術的にフレーズに集中していても、身体の使い方がラクに(普段の基礎トレーニングのように)吹けるようになっていくこと。イマジネーション面では、単純に吹いているアドリブっぽい何かから自分のサウンドやフレージングが必然かのように湧いてきます。少しづつそれらが総合的に馴染んでくるのも分かります。

これまでのわたしのアドリブスタイルは、こうした作業をどちらかと言うと飛ばしてきたので、完全に感性なスタイルでしたが、上記だと理論的にも「ごもっとも」にハマるし、自分スタイルの発展という旨味成分も発生します。

嬉しいのは、没頭している時にトレーニング時のような身体の使い方が継続的に出来るようになったことがなんとも感慨深い。うん。

最強ジャズアドリブ講座。

「あ、この曲は自分にとって大事な曲。誰にも譲れない」と言った曲があったとしたら、迷わずわたしはこう進言します。

「絶対に、有名プレイヤーの所謂、名盤を聞くな!」と。

???と、通常は思われるかも知れないですね。よくジャズの講師たちは、自分がラクをしたいので、「完コピしとけ」とか「有名盤を参考に」とか言いますが。こんな事をやっていると、あなたは一体、何を表現したいのですか?と問いたくなります。ジャズの真似事がしたければ、完コピ譜をなぞって尺通りに吹いてみればいい。けど、それってジャズでもなければ、シーケンサーにやらせておけば良いですよね?

また、セッション会やちょっとしたライブなんかで、お客さんが「刷り込まれたスタンダード解釈」を逸脱したようなソロや展開をすると「いや、こんなのジャズじゃない」とか感じる方も居るでしょうが、それはもう家で死んだ人の演奏を聞いていれば良いと思います。あるプレイヤーは「死人ジャズ」と揶揄していました。

どうしても、すがりたくなったり、自分が刷り込まれた(影響された)ものを再現なり、近づけたくなる気持ちもわかりますが、上記の通り真似はジャズではなく真似でしかないのです。

なので、わたしの最近のジャズアプローチのトレーニングでは(本番で使う予定の曲については)絶対にそういった有名盤を聞き返すことをしません。昔には聞いてしまっています、それは仕方ない。ジャズ歴30年以上ですから、大抵の有名盤は通っています。が、それを再現や真似っぽくしたところで、「で?なに?あんた何?」なのです。

そこにあなたが居る必要がある演奏なのか?それは?というところなのです。あなたが吹かなきゃ意味ないじゃないか?そのソロは。

健康オタク?

ハマると一直線な性格なので、自分がこのまま「健康オタク」になるんじゃないのか?くらいな勢いなのはいかがなものか?と思う今日この頃。

依存性の物を排除したり、運動の継続等々。で、今日はバランスボールってどうなんだろう?と、少し調べてみたりも。体幹の鍛えみたいなものみたいで。

何事も「ほどほど」が必要なわたしです。トランペット以外は。

最近は以前よりは諸々に抑制がきくようにはなっていますが、基本的な脳の構造は深く一直線タイプ。

ここ2日間の晴れ間でかなり脳がスッキリしました。脳、身体の疲れも落ち着いたようで、今朝のランニングからは通常通りのメニュー。トランペットもフルメニューを集中してこなせた。

フリューゲルホルンのサウンド感はとても好きだが、トランペットの方が圧倒的にニュアンスの変化をつけやすい。どちらも魅力的な楽器だけど、もう少しフリューゲルでニュアンスをつけられる段階へ上がってみたい。