大掃除。

今日天気が良くなる事を知っていたので、洗濯機を2回回し、楽器を2本洗った。さらに部屋の大掃除まで。物を全部出し、はたきかけ、掃除機をかけ。布団も干し、シーツももちろん洗濯。

掃除中も常に「骨盤、骨盤」と、念仏のように意識。

トランペット練習にその効果が反映されていて、無駄な力が入らないので、もの凄く簡単に楽にサウンドしています。ハイトーンもらくらく。この調子を維持させて行くのが今の課題です。

BGMとか店内放送とか。

BGMとか店内放送とか駅のアナウンスとか多すぎだなーと感じますが、気のせいでしょうか?

カフェに入ってゆっくりしようとしても、ジャズがかかっていることが多く、休んだ気にならないし。店内放送も客が多くなった頃を見計らってギャンギャンやられるし、他国言語も増えたのでなんだか落ち着かない日々。

せっかちなんでしょうか?日本人は。サービスのつもりとか言う人もいますが、BGMは結構迷惑です。手持ち無沙汰が悪いみたいな感覚なんだろうか?電車に乗るとみんな携帯電話とにらめっこするみたいに。

洗濯バサミをアルミ製のに変えました。プラスチックのは朽ちやすいので。

トランペットは骨盤と脱力に特化して集中しています。良い結果が出ているので満足度は高いですね。

洗車は結構しんどい。

今日の天気は雨か曇りの予報だったけど、日中日差しも出てむしろ蒸し暑いくらい。天候が戻りそうなタイミングで久しぶりに洗車を。あまり日差しがあると、水洗い後にすぐ乾燥してしまうので、水垢が残ってしまう。気温が上がって来ていたのでいつもよりハイペースで作業をこなす。

ホースで水をかけ汚れ落としをしてから、大まかにボロシーツで汚れを落とし、次のシーツで拭き上げ。が、日差しが出たりしてすぐに乾きそうで、ちゃっちゃとやろうとするも、気温と湿度、動きで物凄く汗もかくし、疲れます。

久しぶりにピカピカに。コーティング効果で水洗いのみで済んでいるのは楽です。

写真は庭先のコスモスの枝。水滴がいい感じに残っていた朝。

先日来書いている「骨盤」の件。ランニング、トランペットとどちらも骨盤を中心に意識を固めて。明らかに結果が出ているので、しばらくはここに注力したいと思います。

ハ長調と呼んでいた中学生の生徒。

音楽の楽譜。そのジャンルによって日本では呼び方が違う。呼び方というか、どの言語で言うか。ジャズをやっていると英語読みが日本ではほとんどだと思う。ドレミファソラシドならCメジャー(シーメジャー)クラシックだとドイツ読みが多いからC-dur(ツェー・ドゥーア)日本読みだとハ長調。中学くらいの音楽ではこの読み方ハ長調とかを習うと思います。でも通常の人たちはハ長調とかロ短調とか言わない。電車に乗る機会が多くなり、今日私立中高の中学生のおそらく管弦楽部の女子がその日本読みで会話をしていて、少し驚いた。

そうは言っても、音源の日本盤の記載はやっぱりハ長調とか書くから知っていて損はないですね。

天気の良くない日が続くようで、本日も午前中は雨。ここのところ山に登ったり、ランニングを続けて、しかも1日2回する事もあったので、身体疲れが結構あり、今日は体休養日に。トランペットもかなり軽くの調整。たまにはそういう日も。

今年もこの季節が、

父はワイナリーへ出荷するぶどうを栽培している。白ワイン用と、この赤ワイン用のコンコードという品種を。初もののコンコードを食べる。もっと糖度は乗るはずだけど、結構甘いですわ。毎年最高基準の糖度を下回らないので大したものだ。

正直ぶどうにはあまり良いイメージがないのは、子供の頃から手伝いをしていたせい。畑仕事全体に良いイメージはなかった。が、近年少しづつ興味というか、必要性のようなものを感じていて、図書館や本屋へ行くと農業系雑誌なんかをチラ見したりも。というのも、世界の気候変動と、現実世界の不安定さから、結局自分の食うものは自分で作るみたいな思考が少し芽生えたという。

とは言っても、細かい段取りとかわからないので来年辺りから畑仕事のレポート作成しようかと考えております。デジカメで写真を撮り日記のように文章や気象データ等を歳時記のように記録しようかと。

骨盤、さらに意識。

写真は先日の登頂時のもの。鳥居がちゃんとあり、小さな神社もあった。

骨盤が大事と書いたが、意識してその後のランニングもトランペットもしています。わたしの場合特に骨盤の後ろが上がった状態になっている事が多く、そうなると息が浅くなり、何も良い事が起こらない。山登りでもそれを実感したので、さらにトランペットではあらゆる身体の「力み」を取る事を最優先としている。楽器を持つ手に力みがないか?全身はどうか?骨盤は下げているか?エアーは全身で感じているか?米粒くらいへのツボへキチンと当てているか?ローF♯からハイGまで各音域で上記の事が同等に表現出来ているか?

ランニング時は、上体がブレるような走り方をしていないか?骨盤が下がっているか?それによりキチンと推進力を無駄なく発生させているか?等。

どうやらそれがわたしの肉体的なテーマのようだ。

iPhoneやMacが好きで、数年前までは新製品が出るとワクワクしたのだが、もう何も感じなくなっている。仕事でそういう事をしていたせいもあるんだけど。

それに、iPhoneもMacBook Proも結構もうそこまで要らんよレベルにいると思う。仕事道具でもないので、ハイスペックばかりはもう要らない。トランペットだったら別なんだろうけど。

それよりも、いかにアナログというか、「生」感を出せるか?に重きを置きたい。

筋肉痛なし。

きのう、初山行で今日の身体の状態が気になっていましたが、上半身が多少コリみたいなのがあったくらいで、下半身はまるで通常だったので、早朝ランニングはいつも通りに。ただ、眠気はずっとあったのは、やはり疲労かしら。

写真は山行時、山小屋へ物資等の運搬トラックと思われるのを撮影。腹ばいになって撮影。結構いい感じに撮れた。

200枚くらい撮影しましたが、撮るの結構好きなんですね。もっと自然を感じるはずだったのですが、、、、。これからは紅葉シーズンですからちょっと探りを入れたいところ。

山登りも「骨盤」だった。初アタックが3000m超。

これだけは人生で絶対にやらないだろうと思っていた「登山」を今日、初でして来ました。もっとユルめのイメージと同行の方が言っていたが、彼らも覆された感だったらしい。うん、いかにも登山だった。ピークは3000mオーバー。2700mまではバスで登ります。排ガス規制のため。バス酔いと恐らく酸素が薄かったのが影響したのか、始めの1hくらいは調子が悪いし、初の事だし。

が、途中から体調が良くなり、岩場でもガレ場でもキチンと足が動いた。その中で得た大事な事は、トランペットもランニングも登山も身体を使うアクティビティにおいて、大事な事は「骨盤を落とす事」であった。その事が今回確認された。

骨盤がわたしの表現で「上がった」状態だと、体幹が損なわれ、ブレやすい。無駄な力が発生し、力みが生じ、そして呼吸が浅くなるから血流が悪くなり、体の動きが鈍る。よって、良いパフォーマンスが生まれない。という図式。

骨盤を落とす事で、上記が一気に解消されます。さらに、体がキチンと動くので、冷静に俯瞰した状態で行動を把握出来る利点も生まれます。

「要(かなめ)」とはよく言ったものです。結局そこでした。

フランス映画「男と女」

健康診断を受け帰宅しテレビを付けBSプレミアムにすると、フランス映画「男と女」がやっていた。最後の10分くらいしか観られなかったが、これを1960年代に作ってしまうフランスの文化水準に感服してしまった。これじゃ、日本はいつまで経っても文化水準が上がらないわけだ。経済経済と、そんな事しか気にしていない国に、、、。

恥ずかしながらこの映画は初めて見たが、これぞフランス映画と感じたし、台詞や音楽、仕草や画面構成(そのテクスチュアまで)求めている映画像だった。たまたま、午前には元バレリーナの草刈民代さんのドキュメンタリーを見ていて「日本でプロフェッショナルで食べていける土壌がない」(ざっくりと書きました)と仰っていたのが、まさにその通りで。こんな国は日本くらいのものだ、とも。

「お金をとられる」という人がよく居ます。何かの料金がかかると。これって、良い響きとは言えない。なぜそんなにお金を払うのが嫌なのか?と、よく不思議に思います。

ずっと前に、美容院でシャンプーをしてくれた子。若かったけど丁寧だったので、チップを渡そうとしたが、断られた。文化。わたしは良いと思ったら、額面以上を支払いたいと思うし、逆に仕事とも言えない風だとボロクソに書いたり言ったりします。特に、明確に分かりにくい(日本人に)文化・芸術系に対価を支払う事を強く拒む民族だと感じる。平均ではない、特技や努力をした者への敬意みたいなものがまるで感じられないのはとても残念。音楽や漫画やそういう物は「タダ」みたいに捉えられていて、、、、。

 

技術と音楽性。

カメラが好きなので最近よく話題にしています。楽器も昔は好きというか、スペックとかそういうところでしか判断していませんでした。メーカー名とかね。あらゆるジャンルに共通するところですが、道具や技術が=素晴らしい作品になる。では無いということ。が、そうは言っても世の中、曲芸的な技術やスペックの優れた何かや、肩書きやお墨付きがないと、なかなか認知されないという事実もありますよね。弘法筆を選ばずとはまさに的を得た表現で、楽器もカメラも技術があればある程度なんでも出来ます。でも、そこで技術に走ると芸術性が失われる事が多々見受けられます。世界的奏者であっても。

トランペットで演奏しながら、楽器を口を中心に回転させて見せる、、、なんてのがたまに居ます。これ、音楽ではないですよね?わたしには曲芸にしか見えない。音楽の分からない奏者と音楽を感じられない客が喜ぶだけで、芸術的とはとても言えない。批判めいてしまうのはお許しください。わたしの意見では、ああいうのは技術的にもうやる事が無く、芸術脳のない人たちが、じゃあ他にやる事がないので楽器でも回すか、となる。仮に芸術脳があったなら、そんな回している暇があったら、自分の脳内を回して音を昇華させる事を思うはず。これは仕方のない事です。楽器をやるみんながみんな芸術脳を持っているわけではないから。ハイトーンギンギンパキパキサウンドこそトランペットだと思う人と、暖かさと、間こそがトランペットの真骨頂だと思う人とでは、そもそも脳の構造が違うのですから。

ドラムスで、手数王と言われる人に、その1/100の手数で叩けと言ったら多分無理でしょう。トランペットもドラムスも「間」が怖かったり、取れなかったりする人が居ます。しかしながら、行間の無いものに芸術性をまるで感じないのです。自戒を込めて、改めて音数をキチンと思う事をしようと。

追記ですが、カメラも楽器も上記のような人たちが居ないと成り立たないのも事実です。楽器なんてちゃんと吹ける人がちゃんと選んだら、そうそう変えるものではないので、でも皆んながそうだったら楽器産業は衰退します。カメラもアマチュアのある程度は撮れるけど、表現をおろそかにする人がスペック重視でどんどん買ってくれないとカメラ産業も衰退します。マウスピースもレンズもどんどん変えて買ってくれないと経済が回らない。メーカーもメーカーからお金をもらって宣伝している奏者やカメラマンが煽れば売れる。なかなか世の中上手い事回らないです。

本日は愚痴になってしまったのですが、追求する目的を履き違えると、そこからは何も生み出されないという事を言いたかったのです。