楽譜書き。

台風24号の影響で松本マラソンは中止となったようで。ちょうど今は開催されていればピークタイムでしょうが、時折晴れ間も見えます。が、県外者とか海外からの方は、仮に走れていたとしても、帰れないでしょうね、、、。中止止む無しですかね。

近くの川は昨夜までの雨でかなり増水していて、今夜過ぎる台風でもかなりの水量が予想されるので、この辺りにしてみたら結構な水量になるでしょうか、、、怖いですね。

朝のトランペットトレーニングとランニングを済ませ、楽譜書き。そういえば、昔より音符の書き方が様になっているなーと。読み易く、スピーディーに書けるようになっているみたいです。

結構、移調しないと無い楽譜があって、作業は面倒ですが、手書きする事で何となくいい気分はします。そういえば、この鉛筆削りは浪人の時に使っていたものかも。長いね。

富士フイルム「チェキSQ10」凄い!

カメラ界はいよいよミラーレス一眼全盛へと。メカ好きなのでもちろん最新ハイスペック物にも興味はあります。が、写真の富士フイルムのインスタントカメラ・チェキSQ10が凄くフィットします。従来のチェキは縦長だったり、シャッターを押したら必ずプリントが出てくるようになっていました。スクエアのフィルムはまだ高いんです。一枚100円くらい。なので、無駄撃ちはしたくないので、このモデルは良いんです。撮るだけ撮って、あとで編集も出来てプリントが出来るのです。

シャープなカッチリ写真を求めていないので、解像度やフィルム感がなんとも絶妙に合います、わたしに。

楽器は化身みたいな物なので、ハイスペックは当然なものを持っていますが、カメラにそこまでは求めないというか、現状の最新機種との方向性は違うなーと。

スクエアサイズというのも影響してか、外出時はチェキばかりになっています。

※訂正とお詫び

昨日書いた、美術館で写真撮影の件ですが、きのうの浮世絵の展示に限って写真撮影は可能でした。訂正してお詫び申し上げます。

確かに数人が撮っていて、常識では考えられない光景だったので、あのように書いたのですが。実は気になったので、今日も美術館へ行ったらフラッシュ禁止や音に配慮すれば、写真ならオーケーと書いてありました。

初「浮世絵」が、北斎、歌麿、広重。

夏までの草間彌生展の賑わいを避けていて、ようやく静かな松本市美術館へ。

日本の伝統美術の浮世絵をキチンと観た事がなくて、しかも何の展示をしているかも知らずに平日だからと飛び込んだ。そしたら浮世絵展だった。

さらに以前住んでいた藤沢市の美術館からの展示。

そんなわけで、内容の多くは江の島と富士山と海とすごろくとか。

人生初の浮世絵が、北斎、歌麿、広重などの絵師。ショックです。

200年くらい前に、これが存在していて、わたしの目で観ている。本物。

で、浮世絵に「夜景」が存在するのを初めて知りました。海の上に浮かぶ月。月光が海面を照らし、月光が砂浜を歩く人を照らす。そんな絵があった。これがすごく印象的だった。割と新しい絵。

そして、解説にもあったけど、富士の形や海の波の形、江の島の形。写実的とは言い難い。そう、辻堂に住んでいたけど、あんな荒波ないもんね。「心象風景」と浮かんだ。わたしの写真の撮り方と近いと感じた。なんだか嬉しかった。

思わぬ出会いに感謝。やはり、美術館は静かなところであって欲しい。

そういう時こそ、走るんだ、と。

なんだか、切ないような虚しいような感覚に陥ったので、家に帰りたくなかったが、これまではただ悶々と時間の経つのを待っていたのだけど、そうか!走って走ってクタクタにして、そういう何かを吹っ飛ばすか!ということで、真っ暗な中、ヘッドライトを点け走った。最後はダッシュでしめた。少し気がラクになった。

わたしに邪魔なのはやっぱり「言葉」なんだとも思う。

世間的、学校的には「本を読みましょう、新聞を読みましょう、それこそが人間的活動だ」というような「圧」を感じざるを得ないのだけど。わたしは読書家ではない。好きなのは村上春樹のみで、他には全く興味は無い。春樹なら100冊以上は読んだし、中には1冊を10回以上読み返したものもある。でも、だからってどうか?と言われれば、確かに大切な事は学んだ。ある意味机上で。

でも、わたしの人生で再現や体現や表現をしたいのは、言葉ではなく、空間であり、音であるわけで、そこに言葉が介在するのはまるで邪魔としか言えない。言葉で説明が出来るなら、そもそもトランペットを吹く事もなかろう。

そんな事を感じた秋の1日。

また明日からせっせとトランペットトレーニングをして行こう。

基本。そして自分の音を聴くこと。

この頃、写真無し投稿が続いているのは、単に撮っていないだけなんです。

昔から別のBlog等をやっていた時から、1Blog1写真を続けていたのですが、ネタがなかなか。同じような物を載せるのは(消した過去のBlogに使用したものでも)自分の歴史なので、あまり気が乗らず。

そんな訳で、写真が無いのです。

秋の終わり?冬の始めに自分にはありがたい本番を頂きまして、それの準備も進めているのですが、先日書いたように「大事な曲では、名盤を聞くな!」を当然実行しているのです。もちろん、どの曲も名盤は何度も聞いてしまっているので、本来的には刷り込まれてしまっているのですが、それを振り払うメンタリティを身に付けたい昨今。まず、楽譜を見る。コードを見る。テーマを吹いてみる。アドリブをコードトーンに忠実に吹いてみる(大学生のジャズ研みたいに)そうした単純作業をしていると、やはり何かが見えてきます。

まず、技術的にフレーズに集中していても、身体の使い方がラクに(普段の基礎トレーニングのように)吹けるようになっていくこと。イマジネーション面では、単純に吹いているアドリブっぽい何かから自分のサウンドやフレージングが必然かのように湧いてきます。少しづつそれらが総合的に馴染んでくるのも分かります。

これまでのわたしのアドリブスタイルは、こうした作業をどちらかと言うと飛ばしてきたので、完全に感性なスタイルでしたが、上記だと理論的にも「ごもっとも」にハマるし、自分スタイルの発展という旨味成分も発生します。

嬉しいのは、没頭している時にトレーニング時のような身体の使い方が継続的に出来るようになったことがなんとも感慨深い。うん。

事の善悪って?そもそも、善と悪って?

相撲界のゴタゴタの事がまたメディアに出ていて、辞める!その事について、あーだこーだと。

それを見ていて、タイトルの事の善悪ってなんなんだろう?そもそも、善と悪ってあるのだろうか?人が勝手に善と悪と決めて、脳を落着させるために振り分けているだけなんじゃないのだろうか?と。

中学生の頃、クラスの全員が居る前で教師に黒板前に呼ばれ、平手打ちをくらった事があった。特に珍しい出来事ではない。こんなの小学校から頻繁にあった事。今だったら、結構な問題になるだろう。「時代」も関係しているし、その時の原因は平手打ちに相当するような類では当然ない。ウサ散しです、教師の。なので、当時から権力に対する反骨心がしっかりと根付き、このような性格が形成されています。

インターネット網が発達した現代では、インフルエンサーか、メディアか、それらを上手く操った者が「善」となる。それらを使いこなせなく、グダグダと言っている連中は「悪」となる。単純だ。本質の善悪は関係ない。影響力=善なのだ。

ファッションでも、この時期になるとインフルエンサーたちが、パタゴニアのモコモコをアップし出す。やっぱ冬はこれだよね!とばかりに。そんなものだ。ああいうのも、例えば時計のダニエル・ウェリントンみたいに社からそのユーザーを「認定」みたいにする。こうするとユーザーは喜ぶ。で、宣伝がてらインフルエンスしていくと、とたんに近年のダニエル・ウェリントン溢れになっていくのです。その時計が本当にオシャレかどうかなんて関係なく、オシャレな人が「使わされている」時計をしているから、もしかして、自分もそれを買ったらオシャレになれるかもしれない、という幻想。

きのう書いたジャズアドリブもそうかも知れない。チャーリー・パーカーのアドリブを完コピして披露したら、みんなが知っているフレーズが多く、聞いている人が拍手を送る、吹いている人はその拍手を聞いて「あ、俺ってすごいかも」と勘違いを生む。でも、この演奏は「本物」「ライブ」「アドリブ」「イマジネーション」ではない。幻想。

でも、本人たちは満足しているので、ある意味では「成功」であり、「善」なのかも知れない。

新聞やテレビや雑誌に取り上げられる人。わたしくらいの年齢になると、「あ、この人ね、、、」と結構知った顔が登場する。リアルで知っているので。体裁上当然綺麗事のように書き立てている。表層は「善」だ。が、裏を知っているわたしには「悪党」としか見えない。幻想。

そんなわたしも以前に載った何かしらにはやはりそれなりに体裁を整えて書かれている。人の事は言えない。

上にも書いたが、時代でその善悪も逆転する場合もあるし、その時代、その時にはそれが「善」である場合も、のちのち「悪」となってしまう場合もある。

となると、何が善で悪で、、、の前に、そもそも善悪ってなんだ?ということになるから、哲学的になってしまう。

性善説と性悪説。そんなものか。

一番は、ブレずに自分の芯を貫き通すことなんだけど、これが一番難しいと感じる。わたしは26年トランペットを吹いて来て、その根底にある「音」や「理念」は、まるでブレていない。が、やはり心折れそうになる事は多い。理由は人の言葉。音ではなく。

人が単純に問う事だったり、そういう事。なので、わたしはフェイスブックもツイッターもやめた。あれは言葉を伴うので。

人って、善悪を決めつけたがる生き物と捉えてしまって、達観してしまえばラクなのかもしれないですね。

最強ジャズアドリブ講座。

「あ、この曲は自分にとって大事な曲。誰にも譲れない」と言った曲があったとしたら、迷わずわたしはこう進言します。

「絶対に、有名プレイヤーの所謂、名盤を聞くな!」と。

???と、通常は思われるかも知れないですね。よくジャズの講師たちは、自分がラクをしたいので、「完コピしとけ」とか「有名盤を参考に」とか言いますが。こんな事をやっていると、あなたは一体、何を表現したいのですか?と問いたくなります。ジャズの真似事がしたければ、完コピ譜をなぞって尺通りに吹いてみればいい。けど、それってジャズでもなければ、シーケンサーにやらせておけば良いですよね?

また、セッション会やちょっとしたライブなんかで、お客さんが「刷り込まれたスタンダード解釈」を逸脱したようなソロや展開をすると「いや、こんなのジャズじゃない」とか感じる方も居るでしょうが、それはもう家で死んだ人の演奏を聞いていれば良いと思います。あるプレイヤーは「死人ジャズ」と揶揄していました。

どうしても、すがりたくなったり、自分が刷り込まれた(影響された)ものを再現なり、近づけたくなる気持ちもわかりますが、上記の通り真似はジャズではなく真似でしかないのです。

なので、わたしの最近のジャズアプローチのトレーニングでは(本番で使う予定の曲については)絶対にそういった有名盤を聞き返すことをしません。昔には聞いてしまっています、それは仕方ない。ジャズ歴30年以上ですから、大抵の有名盤は通っています。が、それを再現や真似っぽくしたところで、「で?なに?あんた何?」なのです。

そこにあなたが居る必要がある演奏なのか?それは?というところなのです。あなたが吹かなきゃ意味ないじゃないか?そのソロは。

長野県民はドコで服を買っているのか?問題。

今年に入ってだけでも、複数人から同様の質問をされた。県外出身者から。

「長野県の人って、どこで服買ってるんだろう???」

と、本気な顔をして尋ねられた。

その表情があまりにも本気なので、こちらはひきつり笑いしか当然出ない。そう、長野県では、まともな洋服は買えない。つまりショップが無いので。

松本は長野県内でもファッション感度が高いのだけど(これは複数が認めていた)あるのは美容院ばかりで、まともな服屋がほんとにない。。。。。ない。。。

なので、わたしの返答はいつも「、、、そーっすね、、、旅に出た時に買うか、インターネット通販ですかね、、、」と。

我の強い個人店は少しはあるけど。

ほんと、みんなドコで服買っているんだろう???

アウトドア系の例えば、モンベルとかノースフェイスなんかは他県とあまり差はないのだろうけど。ファッション服は絶望的です。

コーヒーをやめて幸せに、ラクになった話。

コーヒーをやめて1年半以上が経ち、ずいぶんと楽に幸せに生きています。

昔だと、コーヒーを飲まないんですと言うと周りや店から不思議そうな顔をされたものですが、近年の嫌煙・アンチカフェインの流れで説明等も楽になっています。

わたしからすると、今更感なんですが世の中結構コーヒーをこだわっている人が増えている感があります。しかし、そういうのも日本くらいのものだろ?と、海外通の人はいいます。日本人はやたらとこだわるからなーと。確かに、豆屋が繁盛しているのってちょっと異様とも言えます。飲食業界長かったですが、豆の種類は色々あるけど、味の違いが分かる人はほんの僅かですよ。だいたいは人が美味いと言ったものを買って行って、美味いと刷り込まされているのが現状。そもそも、ヨーロッパ等ではコーヒーを楽しむのではなく、その時間を楽しむという、根本から違うという現実も。

コーヒーのような依存性のあるもの、嗜好系から脱すると、まず豆とか道具とかそういう無駄な事へ頭やお金を使わなくて済むので楽。随分と身軽に幸せです。逆としたら、どのカフェ等でもノンカフェインの飲み物のバラエティが少なすぎる事でしょうか。それさえ気にしなければ、こんな幸せな事はないです。

これは酒、タバコ等にも同様に言える事。酒の味の分かる人って、やっぱりほんの僅か。バーテンダーをやっていたので、これも実感として感じてました。

こだわりはこわばりを生み、散財し無駄な脳を使うだけ。本来的なゆったりな時間を過ごすのにはまるで無用でした。

さらに言うと、日本で一番幅をきかせているアメリカのコーヒーチェーンは、そもそも豆を日本で焙煎していない事実を一体どの程度知っているのでしょうか???笑。

選挙権を行使しないヤツは国民やめた方がいい。

今長野県に住んでいます。無駄にデカい県域と市町村数。結構な頻度で選挙があります。先日は知事選があったし、市長選やら補選やらもあります。大きな問題が無ければ現職有利で、行かなくても結果の見える選挙も多い。が、それにしてはあまりにも投票率が低い。それも棄権してるヤツらの多くは通常に生活を送っているヤツら。そういう投票行為が出来るヤツが棄権しているんだけど、そういう輩はとっとと国民をやめた方がいい。投票行動は期日前もあるんだし、だいたい可能なはず。

選管はそういうアホやヤツらのために無駄な広告費を税金から使っているわけで、そういうのをどう思っているのかは知らないけど、そのくせ「税金の無駄使いが、、、」とかヌカすのが意味不明。先日書いた道交法違反をしておいて、責任転嫁するバカみたいに。

日本はこれまた無駄に経済ばかりに着目していて、現状は株価、路線価も悪くないし、海外からの旅行者も多いからなんとか持っているから現職有利なのも頷ける。しかし、まるで公民権運動のことなど宇宙の話なのか?というくらいのものだ。わたしだってその時代を生きた訳ではないけど、一般市民が選挙権を行使出来る事は国家の根幹だと感じるし、どうしてそのくらいの行動が出来ないのか、全く不思議でならない。誰に入れていいのか分かんなきゃ白票でいいんだけど。

前、関係のあった女性は有名大手企業に属していて、社から圧力のように投票へ行けと言われていたみたいで、選挙が終わったら「投票用紙何色だった?」と聞かれるくらいだったらしい。その子は選挙には興味がなく、その日の下着の色で「ピンク!」とか答えていたらしいが、これはこれで面白かったけど、投票くらい行こうや。

写真は、スクエア・チェキと松本ぶらりショット。この頃はこいつを持ち出す事が多いです。後修正の出来る点がなんとも良いです。