マイナスイオン。

マイナスイオンを浴びた今日。ここの滝はマイナスイオン値が20,000-だそうです。

てか、マイナスイオンにそんな値があったなんて知らんかった、、、。ほんと全然信州のこと分かってないわ、、、、。

ちょっとした山にも行ったんだけど、やっぱりたまにはだだっぴろい所へ行った方がいいわー。自然満喫な1日でございました。

明日は、音楽ホール練習室でみっちりトランペットトレーニングの日。しっかり無駄なく響す事、意識していきます。

抜けない疲れ。

結局支配している脳の疲れから、身体の疲れとなっているんだけど、こういうのって、運動みたいに明確に10km走ったから凄く疲れたーとかいうものではない。これまで溜まって来たものが出ている場合もあるだろうし、自分ではそこまで気にかけていないような事でも実は脳が疲弊している場合もあるらしい。

まだ疲れが表層化しているから良いのだが、、、。

なので、先がなかなか読めないというのがちょい困った事ではあるのですが。

トランペットの最近の凄さが自分で体感出来ているレベルであることは嬉しいですね。こういうのって、一度回りだすとグルングルンと良い方向へ行くものです。

ただ、身体が疲れている時は練習どころではないこともあるので、もどかしいのですが。

古着2点。

古着を買う目的ではなかったのですが、松本PARCOに最近中古屋が出来たので、何度目かだけど寄って、チラチラ見てたら美味しい物件があったので購入。

左のストライプシャツは、アバクロ。生地厚くて良い。しかも長袖なのが好感。長袖をまくるのがわたし流。右のジャケットはL.L.Beanの。調べたらプロパーだと¥17,280-わたしは新同品を¥3,800-くらいで。中はフリースになっているので、秋冬に下をデニムならカッコいい。

オトコはガサツで鈍感、と言ったある意味偏見みたいなものを持った女子が多いのは事実。わたしから言わすと真逆で、オトコにだって100年の恋が一瞬で萎える事だってある。「そこは、気遣えよ、、、」みたいな事。年齢が進むにつれ、女子の独断力は強くなるので、注意が必要だ。これは結構仕事でも経験した事。嫌な思いを何度もしてきている。

なので、他者には過剰な期待、見返りを求めない事が結果自分を楽にするんだと、ようやく気付いた次第。

社会科見学〜ゴミ処理場〜

マイクロプラスチックゴミ問題が深刻とのことですが、今日は信州諏訪湖畔一帯のゴミを処理する施設を見学してみた。一般も自由に見学出来るようにこのようにガラス窓越しにゴミの集積等の様子が見られる。

なかなかリアルな光景。

結構な作業がオートマティックみたいです。このクレーンも。

台風までもが、変な動きをするようになっている、末期な北半球。

西日本の豪雨だったところにまた降るみたいですが、もうなんとかならんですかね、、、、。

淡水魚的生活のゆくえ。

何かキチンとした担保がない限り以前のように県外にポーンと住み替える事はしばらくないだろう。そんなただでさえ敏感なわたしがこの淡水魚的生活を維持していくことに対し、ま、言ってみれば別荘みたいな所がいいなーとは思っていたが、そんな折、ちょっとしたアイデアをもらった。

それが実現出来たら、かなり快適な信州生活が出来そうだが、それには色んな手順を踏む必要もある。が、可能がまるでないわけではないが、これまでのわたしの生活技術全般も活きる良い選択とも思う。

とにかく静寂さと、練習時間と場所が必要なわけだ。昔の物書きが温泉宿に、画家が田舎にアトリエを、、、と言った感じだ。

俗世とここまで価値観の乖離があると、それはなかなかしんどい。

〜と〜が結婚しました、出産しました、、みたいなくだらないネットニュースが横行する世の中の基本的住処ではさすがにしんどい。うーん、なかなかの淡水魚っぷりだ。

スペック馬鹿なユーチューバー達。

YouTubeはよく見るんだけど、ユーチューバーって大嫌いです。まず見ない。一体何気取りだよ?みたいなツラばかりだし。

で、やっぱりなんだけど、例えばカメラ紹介、比較〜みたいなヤツだと、必ずスペック云々。これしか言わない。馬鹿。カメラってスペック自慢モノではないんだけど、、、。何をどう撮りたいか?で、そのカメラはそれに適しているか?なんて、だーれも言わない。ただ連写が早いね、重くなった軽くなった、、、そんなことばっか。

例えばその機種が新しくなる前にも撮れる人はキチンと良い写真が撮れているわけで。

楽器も同じ。新機種が出た、新しいスペックのマウスピースが出たって言っても、それで芸術的プレイヤーが一体どれだけ増えるのだ?という事。

かくいう私、そうは言っても楽器もなにもかもやっぱり遠回りしてきました。あの楽器のベルはこれこれこーだから、いい音が出るかも、、、と。

まーったく関係ないんだよね、そんなの。楽器って、通常スペックの物でキチンと全てが出来るはずなんですよ。ちゃんとした人たちが研究して作ってるわけだから。歴史もあるし。ヘビーウェイトの楽器やマウスピースで重厚感を出したいーって一時期流行りましたが、流行って楽器メーカーが儲かっただけね。

ちゃんとコントロール出来れば、例えばバックの5Cと180MLでなんでもどんな音でも出せるんですよ。なので、「吹奏楽向きの楽器」がとか、よく話題に出ますけど、むしろ吹奏楽なんてあんな雑食な団体に「向き」なんかあるわけもなく、、、、。商売口上に乗せられて煽られてるだけ、、、というのに気付くのにみんな時間がかかるんですね。

確かに、「ソロ」で演奏する場合には、その場所のコンサートホールの客席規模が3,000人か500人かで、選ぶ楽器は変わるかも知れないけど。時代は大規模化してたし、曲も壮大な物が増えたから響かせるための設計に変わった。

でも、素人がとやかく判断出来るレベルの人はほぼ居ない。

まずは、己を知ることから。自戒。

歪んだ格差社会。

こんな田舎県でも大学付属病院というのはいくつかあるんだけど、用事もなくただ涼みに行っただけなんだけど、考えさせられる事は沢山ある。

資本主義経済下において、格差が生じる事はむしろ健全に機能している証拠なんだと思うが、こういった病院に入ってみるとそれは歪んだ格差にしか見えない。

まず、入る前から様子はおかしい。学生駐車場にある車たちはピカピカの外国車が多いか、かなり手の込んだ日本車だ。見れば分かる。一方、患者の駐車場には軽自動車が主で、良くてワンボックスにちょっと金を積んだくらいのものだ。要するに多くの日本の所得水準を表すもの。

学生や医師や関係者や患者のミックスするゾーンもあるが、こういう所でもやはり何か変な違和感を感じる。学生たちから醸し出されるソレは明らかに金の匂いがするし、患者からのソレは明らかに悲痛なものだ。

もうここから見える光景は、患者から搾取されたものが学生に回り回って行っている構図にしか見えない。どうしてもまともな構図ではない。

「それは、代々努力し、人の為に医師となり、、、」と言った表向きの言葉では全く説明は付くまい。

患者たちはただでさえ何かを患っているわけで、そこからさらに搾取され、さらに格差にさらされる。

こういうのを見ると、よく海外の明晰な連中が唱える「教育が大事だ」というのは頷ける。教育とは学業のみならず、日々の生活水準も含まれたものと認識する。経済がこのようなシステムが続くならば、格差が無くなるわけもなく、金がある人間はどんなにサッカーに詳しくなくても、W杯決勝戦のチケットを手に入れる事も容易だ。

問題は、こういう世の中での自分の立ち位置をどう考え、どう実現させるか。わたしが提示出来る「格差」とは、これまでの人生と練習と感覚と苦しみから生まれる音を知ってもらう事で、他の楽器奏者とは明らかに違う「何か」を感じてもらうこと。これに尽きる。

目先の事や、日本国内で云々ではなく、長く広い視点で自己実現に向けてどう発信していくか、ですか。

論評みたいになったけど、病院ってところはいつもこういう感情を抱かせる。

 

無駄な優しさだけど、

この猫は野良猫で、割とウチの辺りをテリトリーとしている。こういう野良や野生動物に無駄に食料等を与えるのは、掟として良くないと認識している。が、さすがにこの暑さで、しばらく雨も降ってなくて相当に参っているはずで、食料は与えずとも、せめて水でも、、、と、夜から朝に外に水を置くようにした。飲んでいるかは分からないけど。

この頃のトランペット練習は、前よりもさらに密度濃い内容になっている。なので、朝やって、夕方応用練習の際にも物凄く調子よく入れる。根本的な骨格や歯並び(噛み合わせ)等の見直しから進めている。

日本人には日本人に合った吹き方がある。

彫刻。

安曇野市は以前に絵本館というのがあったので、たまに行っていた。その時は、そこに行く事を目的としていたので、安曇野全体がどうか?とかはほとんど思う事もなかったんだけど、きのうは「あー、こういうところに住んで、練習をしていきたいなー」と思ったのです。

誰にも邪魔をされず、邪魔をせずに練習をする。呼吸をする。

安曇野市にある、碌山美術館に初めて行った。美術というと、まず「絵」と思っていたけど、たまに見てた立体造形物にも頷く事は度々あった。ここでも同様に、ちょっとした小さな作品であっても、何か力のあるものからはパワーが出ていた。

平日の小さな美術館に来る人々は落ち着いている人がほとんどなので、鑑賞もラクだ。

信州には、軽井沢、蓼科、安曇野、、、色んな落ち着きスポットがあるので、存分に浸っていきたい。というか、住みたい。

26年目のトランペット。

トランペットを始めて四半世紀が過ぎ、今日から26年目。気持ちも新たに取り組んでます。

楽器のポテンシャルを十二分に発揮させるため、身体の適切な使い方と息の兼ね合いを常に意識すること。演奏する場全体を共鳴させるために、耳を澄ませながら、抵抗感をパワーに変えていくこと。自身のスタイルを信じ、ただ進むこと。

必ずこの音が必要な時代や場所、人があるはずなので、いつでもそれに応えられるように、日々練習です。